カズオ・イシグロ原作のSF映画「わたしを離さないで」。
1952年、こどもたちは世の中から隔離された施設で健康を管理されながら生活をして健やかに成長していた。
特別な人間だからと言い聞かされて。
不治の病の治療が可能になってから、1967年には人類の寿命が100歳を超えた世界で、臓器提供のためにクローンが作られて臓器移植することが一般化されていた。
施設のこどもたちはクローンだった!
傷つきながらも恋と友情を育み、不安や希望に揺れるクローンたちの生き様を描いたストーリーとなっています。
この映画「わたしを離さないで」について考察したいと思います。
- 「わたしを離さないで」の考察
- 「わたしを離さないで」のラスト
- 「わたしを離さないで」感想まとめ
わたしを離さないで|クローン人間の運命は?
クローンが育てられた施設について
各地に設立された施設があり、完全入寮制の寄宿学校のような作りになっています。主要人物のキャシー、ルース、トミーはその中のひとつ「へールシャム」という場所で育ちます。
先生に健康であることを何より大切に、勉強やスポーツ、創作活動といった恵まれた教育を受けられます。
施設の外に出ることは固く禁じられており、施設から出た生徒は不審な死を遂げるなどのうわさがあり、それを信じるこどもたちは施設の境界線に近づくこともしませんでした。
そんな中でも、最も重要視されているのは創作活動で、定期的にマダムと呼ばれる女性がやってきては良い作品を引き取りに来て「代用コイン」と引き換えられるのです。
その「代用コイン」は不定期に行われる「マーケット」と呼ばれる交換会でお金の代わりとして使用することができ、普段施設内ではみることのないようなものが売られるのでこどもたちは楽しみにしているので、「代用コイン」を得るためにこどもたちは創作活動に一層の熱を込めて向き合うのです。
実際には「マーケット」に並ぶ商品は使い古されたおもちゃや楽器、ジャンク品のようなものが大半なのですが、こどもたちは何の疑問もなく楽しげに商品を選んでいるのです。
そんなこどもたちの姿を見て不憫に思った新任の先生が、「あなたたちに将来はない。特別だと言われている理由は臓器を取るために育てられているからだ。若いうちから臓器を提供するために手術をして、3度目か4度目の手術で大体が一生を終えるのだ。」とこどもたちに訴えますが、すぐさま“先生は辞められた”と姿を消します。
こどもたちは18歳を超えると施設から出て「コテージ」と呼ばれる場所に連れて行かれ、他の施設で育ったこどもたちとともに生活をするようになります。そこでは自由に生活をしながら論文を書き、ドナーとして臓器提供をする日を待つのです。
提供者として待つことも、コテージを出て提供者となった人の面倒を見たり、手続きの代行を行う仕事をする「介護人」になることも選択出来ます。そんな介護人もいつかは提供者として臓器提供が始まるのです。
キャシー、ルース、トミーの運命(幼少期)
キャシーたちが10歳の頃に、待ちに待ったマーケットが行われたのですが、人混みが苦手なキャシーは他の子どもたちを避けるように外で待っていた時、いじめられっ子のトミーがジャズのカセットテープ「Songs After Dark」をプレゼントしてくれます。
そのプレゼントが嬉しかったキャシーは、何度も何度もテープの「Never Let Me Go」と歌う曲を繰り返し聞いていました。
それからキャシーは、何かとトミーの姿を目で追ってしまいます。
そんな中、キャシーの親友ルースがずっとバカにしていたはずのトミーに接近するようになり、集会の最中に手をつないだり、中庭で大胆にもキスをするようになり、2人は付き合うようになりましたが、キャシーはトミーとは両想いだと思っていたでショックを受けます。
キャシー、ルース、トミーの運命(青年期)
18歳になったこどもたちがへールシャムから出てコテージに移動するとき、3人は同じコテージに行くことになりました。
2人の仲は長続きせずにすぐに終わるはずとキャシーは思っていましたが、ルースとトミーの2人の仲はまだ続いていました。キャシーは未だトミーへの想いが変わることがなかったので複雑でした。
そのコテージでは先に来て生活をしていた先輩たちもいて自由に暮らす中、ルースとトミーが恋人らしく振舞う姿に嫌気が差しキャシーは2人にキツく当たったりもするのですが、そのたびに「先輩クローンもカップルで、私とトミーもカップル。自分に恋人がいないからって嫉妬して当たらないでよ!」と言い返してくるのですが、キャシーはどのように感情を持っていけばいいのかわかりません。
そんな中、先輩のクリシーとロッドカップルが「ルースのオリジナルかもしれない人を見つけた」といって、その女性を見るためにキャシーとルース、トミーの3人を車に乗せて連れだします。しかし、クリシーとロッドの2人は別の目的があり3人をカフェへと連れだしたのです。
その理由が「執行猶予」について、自分たちと違う“数ある施設の中でも特に特別”だと言われていたへールシャムから来た3人なら知っているはずだと踏んで、コテージだと誰に聞かれているかもわからないから連れだしたのだと言います。
その噂は「へールシャムから来たものたちが本当に愛し合っていると認められると、提供までに3年から4年の猶予が与えられてその期間2人で自由に暮らすことが出来る」と言ったものでした。
ですが、キャシーとトミーはそんな話を聞いたこともなかったので「でたらめだ」と答えると、クリシーとロッドの2人はショックを受けました。そしてその足で、オリジナルかもしれない女性を見に行くのですが、後ろ姿の雰囲気は似てはいたが顔は似ても似つかない人でした。
ルースは、「あんな女!全然似てないじゃない!」と激怒してなだめるキャシーとトミーに罵声を浴びせ離れていってしまいますが、トミーは追いかけませんでした。その夜、追いかけてこなかったトミーを責めて喧嘩になる声がコテージに響き渡りました。
翌朝、キャシーとトミーが散歩しているとトミーが「執行猶予の話は本当だとしたら、施設で創作活動が重要視されていた理由がわかる」と話しだします。
「創作活動で作られた作品は外の人たちが”人間性”をみるためで、執行猶予を申請したとき”猶予に値するか”を見極めるためなのではないか」というのです。
しかしキャシーは執行猶予の話を信じられず、「噂にすぎない」と諭しますが、少しでも生きられる可能性を見出したトミーとみていられませんでした。
夜になって仲直りしたルースとトミーの大きな喘ぎ声が鳴り響き、キャシーはそれをかき消すようにトミーにもらったカセットを大音量で聞いていました。
そのあとでルースがキャシーのもとに来て「わたしたちが別れるのを待っているのだろうけど無駄だわ。2人であなたを大笑いしてるもの。欲求不満なんでしょ」と嫌味を言って部屋から出ていきます。
その言葉が悔しくて涙を流したキャシーは、コテージから離れるために「介護人」になる手続きをすることを決心し、国際提供者プログラムのバスにのってコテージを離れるのです。
キャシー、ルース、トミーの運命(最期)
それから10年たち、キャシーはすっかり成人して仕事に励んでいました。
介護人になってから、キャシーは仕事の合間を縫って旅行をしたりしながら過ごすうち、、2人を思い出すこともなくなり、もう会うことはないと思っていた矢先、キャシーが担当をしていた提供者が合併症で「終了(死亡)」してしまいます。
病院で書類のサインを求められ受付に向かうと、パソコンにルースの情報が表示されていました。看護師が2人が知り合いだとわかると、ルースの状態が2度目の手術を終えてからだいぶ体力も落ちていて次の提供でおそらく「終了」するだろうと教えてくれました。
そして同じ病院にいることを教わったキャシーはルースに会いに行くとこにしました。
10年ぶりにキャシーと再会したルースは喜びました。
歩行器がないと歩けないほど体力が落ちたルースを見てキャシーは、彼女の介護人になることを申請します。
ある日「海外に打ち上げられた船を見に行くついでに、近くの回復センターにトミーがいるから会いに行かないか」とキャシーを誘います。
病院に許可をもらってルースとともにトミーのもとを訪ねました。
トミーは2度目の提供を終えてからも元気に過ごしていた様子で、3人は再会を喜び合いました。
3人は海岸に打ち上げられた船を見つけ、子どものようにはしゃぎます。そしてルースが2人に話はじめます。
「2人を誘ったのは謝りたかったから。2人の仲を裂いたのはやきもちだった。私と違って2人には本当の愛がある。2人は猶予申請をして欲しい」と、マダムの住所が書いてある紙を渡してきました。
「今更遅すぎる」とキャシーは怒りますが、トミーはその紙を受け取ります。
それからしばらくして、キャシーはトミーの介護人になり、付き合い始めます。トミーがルースのオリジナルかもしれない女性を訪ねた頃から創作を始め、沢山の動物の絵を描きためていました。
そのトミーとの希望を見出し始めたキャシーは、外出許可を取って2人でマダムのもとに向かうことにします。
キャシーがルースにそれを伝えると無表情で一言「よかった」とだけ返しました。そしてその後ルースは3度目の提供をして静かに「終了」を迎えるのでした。
キャシーとトミーの2人は自信作を数点を持って手をつなぎ、マダムのもとを訪れました。マダムは突然来た2人に戸惑いながら家にあがらせてくれました。
執行猶予の話や、へールシャムで創作活動を重要視していた理由にふれ作品を広げていると、へールシャムの施設長が現れ2人に説明をし始めました。
「へールシャムは臓器提供の倫理を見るための最後の場所で、芸術作品は”提供者として育てられたこどもたちも人間だ”と説明するためだった。執行猶予はない、今も昔も。」と冷たくあしらいます。
キャシーはなんとなくわかっていたことに答えがはっきりして落ち着いていましたが、トミーは受け入れることができず、持ってきた作品をおいてマダムの家を出ていきます。
帰り道で車から降りたいとトミーが止め、降りると絶望からか感情を爆発され泣き叫びます。キャシーは黙って抱きしめるしかありませんでした。
それから数日後、予定されていた3度目の提供を受け、トミーは見守っていたキャシーに笑顔を向け、静かに眠りに落ち臓器を取り出され「終了」を迎えます。
キャシーはそれから2週間後、ついに臓器提供の知らせを受けます。
かつてへールシャムがあった場所を訪れ、自分たちと自分たちが臓器提供で救う人間にどんな違いがあるのか、なぜ自分たちが普通に生きてはいけないのか、そしてなぜ提供を受ける側の救われる方の人間が自分たちをこんなにも嫌うのか、いくら考えても答えは出ません。
キャシーは天国でトミーに会えることを願って涙を流したのでした。
わたしを離さないで|ラストの展開を解説
へールシャムがなくなった理由は?
キャシー、ルース、トミーたちがコテージに向かった年にへールシャムは閉鎖をしています。
施設長が集会で「わたしたちを排除しようとするものと戦うのはたやすいことではない。根拠のない価値観と固定概念を尊ぶ彼らに屈しない」と言っていたことから、すでに長いこと存続の危機だったことが伺えます。
キャシーとトミーが成人してから、マダムの家を訪れた際に施設長は「へールシャムは臓器提供の倫理を見るための最後の場所」と話していたのは、クローンとして生まれ育ったこどもたちも人間だと証明するために活動していた場所だったことがわかります。
そして「わたしは生徒たちに誰からも奪い取られない何かと与えようとしてきた。それが出来たと思っています。」と伝え、トミーが出してきた作品を「気に入ったから貰ってもいいか」と問います。
これは、施設長は将来臓器を提供して死にゆくこどもたちが残せる何かを教えたかったから創作活動に力を入れていたことがわかりますし、憐れんでトミーの作品を貰い受けようとしたのです。
逆に、よく作品を見に来ていたマダムはこどもたちと触れ合うことを嫌い、目を合わせようともしなかったのですが、マダムは臓器提供のために生まれたクローンのこどもたちが「人間であるということ」を認めたくなかったのです。
クローンから臓器提供をうけることによってガンや精神疾患を克服した人類でしたが、施設長は倫理的に問題があるとしてへールシャムのこどもたちに創作活動をさせ数多くの芸術作品を世に示してきたのですが、人々はそんな姿すらも拒否して「人間である」ということを認めなかったために施設は閉鎖されたのでした。
ルースが最期にキャシーとトミーを祝福できなかった理由
キャシーとトミーが猶予申請するとルースに伝えた時、ルースは無表情に「よかった」とだけ返します。
2人を再開させ猶予申請をしてほしいと願ったのは本心からだというのは間違いないはずなのに、なぜ喜ばなかったのか?
それはルースはすでに2度目の提供を終え、体力的にも次で終了してしまうのを理解している上で、キャシーとトミーが猶予申請をしてそれがたとえ本当に実現できたとしたら数年は2人で幸せに暮らしていけることに“嫉妬”したからではないでしょうか。
希望に満ちたキャシーと、愛する人もなく1人で死にゆくだけの自分を比べてしまい、絶望に満ちたルースは喜ぶことなんてできるはずもありません。
ルースの行いは幼い頃から嫉妬心であふれていたので、寂しい最期は仕方なかったのかもしれませんが、あまりにも切ない最期でした。
クローン人間と提供を受ける人間との差
物語の最後で、キャシーが閉鎖されたへールシャムの跡地を前に考えていた、提供する側とされる側の違いとは何なのでしょうか?
何も知らずに幸せに育てられたこどもたちが、いつしかクローンであることを知り、提供者として自覚させられ、生きたいと願うことも許されずに臓器を抜き取られていく。
人道的にも倫理的にも、クローン人間の人間性を無視する行為は許されないと思うのですが、仮に自分自身が重い病気で苦しんでいて、クローンから安全で健康な臓器を提供されると知ったら縋り付いてでも欲しくならないか?
そんなクローンたちの人間性を見せつけられたとしても無視したくなるのではないか?と考えてしまいます。
わたしを離さないで|クローン人間の運命は?絶望的なラストのまとめ
いかがでしたか?
様々な変化を遂げ変わっていく時代のなか、ゲノム編集された赤ちゃんが生まれ倫理的に問題になったり、ある国でクローンが造られているのではないかと都市伝説のように語られたりもしています。
ですが、実際に実現しているとしたらとクローンたちの人間性はどうなるのだろうかと考えさせられます。
仮に自我が芽生えない状態で育ったクローンだったらいいのか?
難しすぎますね…
個人的にはクローン技術が発展するよりも、臓器を培養する技術の方が進化して欲しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
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