博士と狂人|映画は実話?マレー博士とマイナー博士を解説!

博士と狂人

出典:映画.com

世界最大の英語辞典「オックスフォード英語辞典」、通称OEDの誕生秘話を描いた映画『博士と狂人』が2020年10月16日より劇場公開されました。

 

本作の原作『博士と狂人世界最高の辞書OEDの誕生秘話』は、驚きと感動の実話として全米で大反響を呼ぶベストセラーとなりました。

中でも、OED編纂に尽力したマレー博士マイナー博士には注目が集まっています。

 

今回はそんな話題の映画『博士と狂人』は実話なのか?マレー博士とマイナー博士について調べてみました。

 

この記事で分かること
  • 『博士と狂人』は実話なのか
  • 『博士と狂人』マレー博士はどんな人物なのか
  • 『博士と狂人』マイナー博士はどんな人物なのか

博士と狂人|実話だった?

 
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初版発行までに70年以上の長い年月を費やし発刊された「オックスフォード英語辞典」は、41万語以上の収録語数を誇る、世界最大の英語辞典です。

 

 

全20巻で20万円以上する高価な辞書ですが、現在は有料会員登録でオンライン使用もできるようになり、世界中の人々に親しまれ活用されています。

 

そんな莫大な時間をかけて作られた「オックスフォード英語辞典」はどのようにして誕生したのでしょうか?

 

本作の原作である『博士と狂人世界最高の辞書OEDの誕生秘話』は、CEOの誕生秘話が丁寧に描かれたノンフィクション作品として全米で大きな感動を呼びベストセラーとなりました。

 

本作でマレー博士役を務めたメル・ギブソンは、自身で監督を務めるつもりだったというほど原作に惚れこみ、原作の映画化に真っ先に名乗りをあげました。

 

そして、構想から20年の時を経て、『博士と狂人』は誕生したのです。

 

マレー博士とマイナー博士の出会い

19世紀、家が貧乏だったため、独学で勉強し言語学博士となったジェームズ・マレー(メル・ギブソン)は、オックスフォード大学で英語辞典編纂計画の責任者をしていました。

 

辞典は16世紀末のシェークスピアの時代まで遡り、全ての単語を収録した完璧な辞典の編纂を目指しましたが、その作業は困難を極め難航していました。

 

そんなマレーの元へ膨大な資料を送ってくる協力者が現れました。

 

アメリカ人で元軍人のウィリアム・チェスター・マイナー(ショーン・ペン)です。

 

マイナーは過去に殺人を犯し、収監されている精神病院から手紙を送っていました。

 

マイナーが殺人犯であることを知らないマレーでしたが、マイナーの優れた知識と能力に感銘し、実際にマイナーと会ってみたいと興味を持ち始め、二人の友情が始まるのです。

 

博士と狂人|マレーとマイナーについて解説!

博士と狂人

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それでは、実際のマレー博士とマイナー博士はどのような人物だったのでしょうか?

 

ジェームズ・マレー博士

https://twitter.com/hakasetokyojin/status/1291207366134755330

 

1837年スコットランドで誕生したジェームズ・マレー

 

マレーの生家は仕立て屋を営んでおり、生活は困窮していました。

 

経済的な理由から14歳で学校を卒業後、進学は許されませんでしたが、独学でドイツ語フランス語イタリア語ギリシャ語ラテン語を習得しました。

 

学士号を持たない学者として、言語学を極めたマレーは、その知識が認められ、「オックスフォード英語辞典」編纂の責任者へと抜擢されます。

 

パソコンが普及していない当時、単語がどのように書物等で活用されているのかをまとめるためにカード化し、その活用例を広く募集していました。

 

気の遠くなるような地道な作業でしたが、そこへ救世主のように的確な活用例を記入した膨大な数のカードを送ってきたのがマイナー博士でした。

 

ウィリアム・チェスター・マイナー博士

https://twitter.com/hakasetokyojin/status/1291645254106406912

 

1834年裕福な家庭で生まれ育ったウィリアム・チェスター・マイナー

 

名門イェール大学卒業後、軍医として働きますが南北戦争後、精神を病んでしまいます。

 

療養のため、アメリカからヨーロッパへと渡航し、ロンドンで静養していたマイナーですが、ある日見ず知らずの通りすがりの男性を銃で射殺してしまいます。

 

「アイルランド人から襲われてしまう」という妄想から引き起こしてしまった犯行でした。

 

南北戦争中のトラウマが引き起こした妄想ではないかといわれていますが、マイナーは現行犯逮捕され、受刑者専用の精神病院に収容されることになりました。

 

独房で本を読むことが許されていたマイナーはある日、本に挟まっていた英語辞典編纂のための活用例記入のカード募集の記事を目にします。

 

英語辞典編纂のプロジェクトを知ったマイナーは古い文献や辞書を調べ、膨大な量のカードをマレーに送るのでした。

 

マレーとマイナーの友情は最後まで続く

その後、20年近く二人は交流を重ね友情を深めていきます。

 

マレーは、途中マイナーが殺人犯であることを知り、マスコミにも殺人犯との辞典編纂の関係が報じられ、それが問題となります。

 

しかし、マレーは当時のイギリス内務大臣ウィンストン・チャーチルに懇願し、マイナーをアメリカに追放してもらうことで、マイナーの自由を勝ち取るのでした。

 

こうして最後まで二人の友情は続きました。

 

そして、

1915年マレー博士死亡。

1920年マイナー博士死亡。

 

1927年大晦日、二人の悲願であった「OED」の完成が宣言されるのでした。

 

博士と狂人|映画は実話?マレー博士とマイナー博士を解説!のまとめ

今回は、『博士と狂人』は実話なのか?マレー博士とマイナー博士について調べてみました。

 

本作は、全米でベストセラーとなった『博士と狂人世界最高の辞書OEDの誕生秘話』が原作となっており、OED誕生の実話が描かれている感動のストーリーです。

 

マレー博士とマイナー博士、それぞれ生い立ちや立場は違いますが、OED完成に情熱を傾け尽力してきた二人には固い絆が結ばれていました。

 

 

今まで明かされてこなかった感動的な真実も語られています。

 

主演のメル・ギブソンとショーン・ペンの演技にも注目しながら、是非ご覧になってみてください!

 

 

以上、博士と狂人|映画は実話?マレー博士とマイナー博士を解説!についてご紹介しました!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

コメント

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